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ヴァッスーラ・ライデンのハワイ訪問 2012年2月16日

※この記事はハワイの「グアダルーペ・ハウス」の2月18日付の記事を、許可を得て翻訳転載しています。

ヴァッスーラ・ライデンのハワイ訪問、2012年2月16日


 2月16日木曜日の夕べ、私は、神秘家とされているヴァッスーラ・ライデンのワイキキ・ホテルでの講演に参加しました。この講演に参加することについて、少し懸念があったことを認めなければなりません。それは私を心配した友人が、ギリシャ正教会の否定的な声明を引用しつつ、参加しないようにと警告するEメールを受け取ったからです。そのメールが善意をもって送られて来たことは確かです。しかし実のところ、もし誰かがヴァッスーラについてネットで調べれば、彼女に反対するたくさんの記事を見つけるでしょうし、彼女を支持する記事も同じくらい見つけるでしょう。真実を識別するのは困難です。それで私はこの講演に行くことに決めました。とにかく、私はそのメッセージを自分の耳で聞きたかったのです - ヴァッスーラ自身の口から - 彼女と個人的に会ったことすらない人々からではなく。下記はこのイベントで起こったことの私の個人的な体験です。

 講演は午後7時に始まる予定でしたが、短い紹介のDVDが再生された後、ヴァッスーラは7時15分ころから話し始めました。彼女の振る舞いは率直なもので、尊大ではなく、話し方は単純で、しばしばユーモアを伴ったものでした。彼女がイエスと天の御父との交流について話す時、その声は、神秘的な交流の際に彼女が体験した優しさと愛の感覚を感じさせるものでした。そして「背教」と世界の上に来る「罰」について話すとき、ヴァッスーラの声色はその深刻さと緊急性を感じさせるもので、かすかな不満の気配すら感じさせるものでした。話している間ずっと、ヴァッスーラは誠実な情熱を示しており、それは私にとって、彼女が自分に起こったと主張しているその体験を、本当に信じているということを示すものでした。彼女が聴衆を欺こうとしていると感じたことは一瞬たりともありませんでした。

 メッセージが進むにつれ、ヴァッスーラが私たちに伝えようとしていることは、私がこの25年間に読んできたカトリックの神秘家たち(福者アンナ・マリア・タイギ、福者エレナ・アイエロ、ガブリエレ・ボッシ等々)や、いくつかの公認あるいは非公認の聖母のご出現(秋田、ガラバンダル、キベホやメジュゴリエ)と大きな違いはありませんでした。実際、私はヴァッスーラのメッセージに、言葉は違っていても、驚くほど類似している概念を見出しました。以下は、彼女が説明した主なポイントです。

・イエスは私たちを計り知れないほど愛しておられ、私たちそれぞれと深い個人的な関係を持ちたいと欲しておられる。

・キリスト者は信仰の実践において無気力(不活発)になってしまい、それが原因となって、社会全体が「気難しく」(喜ばせるのが難しく)なり、神への反逆を引き起こしている。それゆえ、私たちの悔い改めと回心、祈りと償いが緊急に必要である。

・人類は神の恵みと慈悲の時に生きている。この時期には限りがあって、時が来たらこれは終わり、神の裁きと火による清めの時が訪れる(繰り返しになりますが、世界中で起こっている聖母のご出現と同様)。

・人類はまもなく、大きな出来事によって「試され」、神の目を通して私たち自身がどうであるかを見ることを神はお許しになる(ガラバンダルとメジュゴリエ、その他多くのカトリックの神秘家たちが預言している「警告」と同じ)。人々が自分自身の霊魂が罪に染まっていることを見る時、多くの人々にとってそれは酷い経験となる。

 もう一つの大きなテーマ - 間違い無く、もっとも論争の的となり、ヴァッスーラに対する多くの非難と反対を引き起こしたであろうテーマ - は、彼女のメッセージの、キリスト教会つまり正教、ローマ・カトリック、プロテスタント教会すら含めた「一致」への呼び掛けです。ギリシャ正教の信仰を告白しているヴァッスーラが、イエスが私たちに皆、教皇の下で「一つの群れ」となるようにと求めておられると主張している...様々なキリスト教の教派に属している多くの人々にとって、これは飲み込むことが難しい薬ですが、私は全く達成可能だと考えています。何故私がそう信じるかをここで説明することをお許しください。

 私にはマーシャという同僚で、13年以来の仲の良い友人がいます。マーシャは根本主義キリスト教会の忠実な信徒であり、オアフ島のウィンドワードの教会で活発に奉仕しています。私が知る数年の間、私たちは自分の信仰体験について何度も徹底的に分かち合ってきました。私たちは聖体や聖母といったいくつかの教義的な問題について完全に同意することはありませんでしたが、私たちが分かちあった神の子としての愛と友情は、互いの信条を裁くことなく尊重することを可能にしました。そしてまた、それぞれの教会での奉仕を通して、私たちの生活に聖霊の働きがあることを認識しました。単純に言えば、私たちの関係において、教義的な障壁は存在することを止めてしまい、私は彼女のうちにイエスが働かれているのを見、彼女は私のうちにも神が同じ事をされているのを認識するのです。私たちが異なるキリスト教派の背景を持つ二人ではあっても、私たちは真実に一致しています。私たちの愛したいという望み、神が望まれるようなやり方でお仕えしたいという望みによって。このことから、私はヴァッスーラのキリスト者への一致の呼び掛けを、まったくありえないとは考えません。むしろそれは、全てのキリスト者が互いに無条件の愛を実践するよう、本当にイエスが求めておられる事柄なのだということに賛成したいと思っています。

 もう一つ、ヴァッスーラの講演で気付いた小さな点があります。話をする前後、彼女はファンファーレか何かによって、自分を導きだすことをしませんでした。彼女は7時10分頃に静かに歩いて会場に入って来て、紹介されるまで待ち、そして演台に上がるとすぐに話し始めました。話が終わると、本や御絵にサインを求める人々、何かの癒しのために一緒に祈ることを願う人々に忍耐強く接していました。すべてを話し終え、やり終えると、ヴァッスーラは入って来た時と同じように静かに会場から出て、ちょうど紹介のアナウンスをした女性と一緒にホテルのエレベーターに向かいました。大勢の取り巻きに囲まれることもありませんでした。彼女の外見にも、その振る舞いにも、自分を中心に置きたいという意向を持つ人が示すものは何もありませんでした。もしも私がこのように注意深く観察していなかったら、彼女が会場から去ったことすら気付かなかったと思います。すべては、とても謙虚で控えめなものでした。

 最後に、ヴァッスーラに対する誰かの個人的な意見を変えようというつもりは決してありませんが、正直に言って、私は、カトリックの信仰により深く感謝しつつこの講演から帰ったと言うことができます。ヴァッスーラが教皇の権威に深い敬意を表したことは、私の教皇様への忠誠心を確認するものでした。また彼女が聖体と聖母を彼女のメッセージの重要な要因として強調したことは、私にもっとしばしばミサに与らせ、個人的な宣教活動を通して聖母信心を広め続けようと思わせるものでした。私は、愛を持って世界の全ての人々に手を差し伸べたいという心からの望みを新たにしました。とくにまだ神を見い出していない人々に。この講演から何日かが経過しているにも関わらず、私はまだこの確信が心の中で燃えているのを感じています。二人のカトリックの友人がこの講演に参加しましたが、まったくおなじ思いを共有していました。

 そしてカトリックでない私の友人、マーシャを思い出してください。さて、彼女は私と一緒にこの講演に参加し、ヴァッスーラから聞いたことに深く心を動かされました。彼女自身の言葉によれば、マーシャは「このメッセージは、私が神のみ言葉(聖書)で読んだことを再確認するものでした」。ある人々が言うように、もしヴァッスーラとそのメッセージの背後に悪魔が働いているのなら、あの夕べに悪魔の使った方法は、彼の目的のために人々を獲得するというより、むしろどういうわけか、裏目に出てしまったと言わなければなりません。非常に少なく見積もっても、悪魔は私と三人の友人という、四人の生涯にわたる敵を作りだしてしまったのです...このために私たちは全能の神を讃え、感謝を捧げます。

ピーター
グアダルーペ・ハウス

at 21:28, administrator, その他